しねしね談

無職のおっさんがなけなしの金を叩いてDVDを借り、夏休みでもないのに感想文を書いてしまいます。ジャンルは主に洋画と海外ドラマ、どちらも古いのが好きです。

映画や海外ドラマの感想いいながら『隙あらば自分語り』のブログです。

人の記憶なんて、いい加減なものです。

そもそも間違っている情報をインプットしてしまう、なんてことはよくあることですし。

そのときは正しく事実認識していたとしても、あとから脳が勝手に、その内容を改ざんする。違うことを上書きしてしまう。

そんなこともあります。

ワタシも今回、事実に反することをあなたに伝えてしまうところでした。

当初、ワタシが書こうとしてた内容はこれです。


あなたに「察してもらいたくなかった」もうひとつの理由。

ワタシの態度を見て「何かある」と「察した」あなたが、その「何か」を知ろうとする。

ひとりで抱え込み続けることに耐えられなくなったワタシが、あなたに全てを話してしまう。

ことの真相を知ったあなたは当然、いい気分にはならない。

結果、リハビリや他部署とデイケアが険悪ムードになる、のみならず・・・

ワタシとリハビリの関係も、微妙なものとなってしまう。

・・・そうなるのをワタシは避けたかったのです。


と、ここで

「それでデイケアと他部署が険悪ムード、まではわかる。しかしなんであなたとリハビリの関係にまで影響が出るのか?」

あなた、そう思われてるかもしれない。

でも実際、デイケアと他部署が険悪な状態になったとして。

デイケアのことをよく思ってない一団は「自分たちの思惑がバレたのではないか?」と。

「誰かが(デイケアの職員に)話したのではないか?」

「密告者・・・チクリ野郎がいるんじゃないか?!」

そのような疑念を抱いても、不思議ではありません。

では,そのチクリ野郎とは誰なのか??


はい、ワタシです。ワタシしかいないんです。


いやもちろんワタシ以外の人が話すことだって、ないとは限りません。

でも1番の重要参考人はワタシです。恐らくWS主任は、ワタシのことを真っ先に疑うはずです。

そうなると、ワタシも困るんです。

その時点ではまだ、土曜日のリハビリでの兼務。続いていたワケですから。

お互い仕事、やり辛くなるでしょう? 信頼関係にひびが入るというか。

・・・そんなに信頼されてなかったかもしれませんが。

とにかく自分としては、デイケア同様、リハビリとの関係も大切にしたかったんです。壊したくなかったんです。

それがもうひとつの「あなたに察してもらいたくなかった」理由です。


これが事実誤認のある記事です。

とはいえ概ね、間違いではありません。

「あなたに察してもらいたくなかった理由」ということで、「もしあなたが察してしまったら?」という仮定の話に終始してますが。

ワタシがそのとき・・・というかその当時、そのような考えを持っていたというのは事実なんです。

だから、あなた方からナンと言われようとも。黙っていたんです。


だけどこの話。この内容。

ひとつだけ、ただひとつだけ。重要な部分に誤りがあるのです。


この日は土曜日です。そしてあなたと話をしたのは、午後? 夕方? の送迎を終えたあとの車内です。

この日なんです。

院長先生から「もう行くな」と言われていた、土曜日のリハビリでの兼務。

にも関わらず続けていたのが院長先生にバレてしまった。

それがまさにこの日だったんです。


つまり「その時点ではまだ、土曜日のリハビリでの兼務。続いていた・・・」の一文が記憶違い。

とはいえ結果的に、その日までは続いていたのですから。やはり全くの間違いとは言えませんが。

とにかく、この日このときのワタシ。疑心暗鬼の念、のみならず。

リハビリの件でも、大袈裟に言えば尋常ではない心持ちだったというか。

あなたから『変』と言われても、なんらおかしくない精神状態であった・・・ということです。

あなたが『察する』ことを、なぜワタシが望んでいなかったのか。

それはあなたに、真実に近付いてもらいたくなかったから。

『察する』ことにより、万が一にも。

「デイケアが、ヨソの部署から嫌われている」ということに、あなたが気付いてしまったら。

・・・当然、いい思いはしないでしょう。嫌気がさして、退職まで考えるかも。

そうなるのを、ワタシは避けたかったのです。


なので、このときの自分。

「焼きもちを焼いている」と思われるのは心外である、とはいえあなたが真相に辿り着くのもまた、望ましいことではない。

けれどもワタシの表情から、あなたが「何か」を察するかもしれない。

ならば・・・とりあえず表情、変えたほうがいいかな? 

無意識に困った表情になっていたけど。いっそ変顔でもしようかな?

そんな思案、巡らせておりました。


「私、彼氏いるのよ!?」を受けての変顔など、流石に意味不明というか。

それこそ『変』と。そう思われても仕方がないことなのですが。

とにかくそんなこと考えるぐらい、複雑な心境であった・・・ということです。


しかし、それにしても。

デイケア、なぜにそこまで嫌われていたのか??

そもそも嫌われるほどの関係性すらなかったはずです、他の部署とは。

デイケア職員の誰かと、他部署の誰かとのイザコザとか。

そういう個人的な諍い・もめ事。そんな話、聞いたことないですし。

ワタシの知る限り、トラブルのようなことは一切なかったはずなんです。

なのになぜ?


この件に関して・・・実はワタシ、とある疑念を抱いておりまして。

というのも、ワタシは常々このブログ内で「真実を伝えたい」と申し続けてきましたが。

もしかしたら・・・真実に辿り着けていなかったのは自分であって。

デイケアが嫌われていた理由について、あなたは何か心当たりがあるのではないか? と。

ただあなたは、ワタシがリハビリ室に呼び出されたことを知らない、なのでそれを話す展開にならなかった。

もしくは・・・これは勝手な憶測なのですが。

その理由、あなたにとって不都合な内容で。それで誰にも話せなかった、とか。


真実を伝えたい言いながら、疑念やら憶測話やらでスミマセン。

しかもその疑念・憶測が、あなたに向けられたものとか。書いてる自分も心苦しいです。

妄想と言ったほうが、言葉としては正しいかもしれません。

しかしその妄想が正解である可能性、ないことはない。のかもしれない。

・・・なんて考えたところで。

今更この件で、ワタシが真実に辿り着くことなど。到底無理な話で。

大袈裟な言い方になりますが、これはもう『永遠の謎』です。


ワタシがあなたに「察してもらいたくなかった」理由。もうひとつあるんです。

それは・・・という体で、話を進めていくつもりでいましたが。

書こうとしていた内容、どうやら事実誤認というか記憶違いがあったようで。

一旦、頭の中を整理します。

永らくお待たせいたしました。

ここからは今年2月末に投稿した記事、その中で執筆を予告した『察する』の話になります。


このときの自分・・・「困ったな」という顔をしていました。

しかし、どんな顔をしていようと。

「この人の感情は『ジェラシー』である」 そういう先入観・思い込みを持っていたであろう、あなたからしたら。

単に「それ(ジェラシー)を指摘され、惨めな気分になっている人の顔」ぐらいにしか、見えなかったことでしょう。


けれども。

もしかしたら『察する』のではないか。

ワタシの顔色を見て、何かに気付くのではないか?

このときワタシの脳裏に、そういう考えがよぎったのです。


もちろん、たとえ『察する』にしても・・・今まで散々書いてきたエピソードの数々。

ワタシがリハ室に呼び出された話とか。

ハゲがデイケアのことをどう言ってたかとか。その他もろもろ。

それらのこと全てを、ワタシの表情ひとつで読み取ることなど、流石に不可能。

それはわかっています。

しかし、そこまで『察する』というか『達する』ことが出来なくとも、

「なんか様子や雰囲気・・・変だな?おかしいな?

もしかしたら・・・違うんじゃないか? 

自分が知らない、もしくは気付けていないだけで

何か違う事情とか理由、あるんじゃないかな?」

ぐらいまでは、辿り着くのではないか? それぐらいまでは、読み取れるのではないか? と。

・・・結果は既に出ております。あなたはそこまで到達すること、出来ませんでした。


「いや、そんなん・・・雰囲気や表情でわかれ、とか無理!!

そもそもなんで言わなかったの? 

そのとき何でもかんでも全部、洗いざらい話せばよかったじゃない!!」

ワタシがあなたの立場だったら、こう反論したくなると思います。

しかしワタシはあなたではないですから。ワタシはワタシの立場で、話を進めさせていただきます。


確かにこのとき、全てを話していれば。

その後の展開は、大きく変わっていたかもしれません。

しかしこのときこの時点で。

ワタシがあなたに、あなたの知らない事実を話してしまう、なんてこと。

これは絶対になかったんです。


この記事の中で、ワタシは

「(あなたが)察するのではないか?」

と書いてはおりますが

「察してくれるのではないか?」 

とは、ひと言も書いておりません。

このふたつの言葉の違い。わかりますでしょうか?


「察するのではないか」 は、そのままの意味です。

ただ単に「あなたが察するのではないか?」ということです。

それに対し、

「察してくれるのではないか」 は、言葉の中に「察してほしい」という願望がこめられています。

つまり「察してくれる~」であれば、あなたが『察する』のをワタシが期待している、ということになるんです。


けれども前述したように。「察してくれるのではないか」という言葉。

今回の記事では使っておりません。なぜだかわかりますか?

その言葉が、このときのワタシの気持ちを表現するのに適してないからです。


なんか回りくどいことばっかり言っててスミマセン。要するに、どういうことかと言うと・・・


このときワタシは

「察してほしかった」ワケではないのです。

むしろ「察してもらいたくない」という気持ちが強かったのです。

あなたが『察する』こと。そして全てを知ること。

ワタシはそれを望んでいなかった、ということなんです。

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