しねしね談

無職のおっさんがなけなしの金を叩いてDVDを借り、夏休みでもないのに感想文を書いてしまいます。ジャンルは主に洋画と海外ドラマ、どちらも古いのが好きです。

映画や海外ドラマの感想いいながら『隙あらば自分語り』のブログです。

院長の説得が功を奏し、Y島さんはデイケア就任を受託しました。

そしてちょうどそのころ、ワタシの心臓病が発症します。

当時、周りからは『デイケアのことがストレスになったのではないか?』と思われてたようですが。そんなことはございません。

だってそのころは、希望に溢れていましたから。


Y島さんとはよく話をしました。もちろんデイのことです。

「楽しいデイケアにしようね。」

「利用者が若いころやってた趣味とか。そういうのもレクに取り入れたい。」

「お年寄りって子供好きな人、多いでしょう? ウチの子供、連れてこようかな。」

・・・懐かしい、楽しかった日々です。思い出して少しホロリとしてしまいました。

遠足は前の日の晩が1番楽しいというやつですかね。本当にそのころは夢と希望でいっぱいでした。

・・・その遠足の行先が 真冬の八甲田山 とも知らずに。


その後、ワタシとY島さんはヨソのデイケアに研修に出されます。結構長い期間だったような。そこの職員の方々もみんないい人たちばかりでした。


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途中だけどこぼれ話

そこのデイケアは離れにプレハブ小屋が建っており、そこを更衣室兼休憩所として使っていました。

ある日のお昼休み、一応ノックをしてその小屋のドアを開けたところ・・・

上は着てるものの下は下着姿の、そのデイケアの若い女子職員が『まいっちんぐマチ子先生』みたいな恰好で立っていました。

「あ、すいません!!」

と思わずドアを閉めてしまったのですが・・・もしかしてアレ、ワタシを誘惑していたのではないのでしょうか?

・・・そーいうとこ気の利かないというか疎いというか。ワタシのダメなところです。

やっぱりあのとき・・・強引に押し倒してあげるべきだったのでしょうね。




そして警察呼ばれて


そこで M病院物語 完 ってどんな終わり方や!?
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デイケア施設の完成は結構早かったような気がします。白い大型車もやって来ました。

そのころはまだS原さんがいない時代。誰が車の運転をするかは決まってませんでした。

1度、ワタシとねずみ男事務長と、なぜか事務のH川さんと3人で練習がてらに白号車で近所を走り回ったことがあります。

そのとき・・・事務長が運転しているとき、確かに黒い大きな犬が飛び出してきたような気がするのですが・・・。

通り過ぎて後ろや辺りを見回したのですが、犬の姿はありませんでした。もしかしたら今でもその犬は、白号車の下のところにくっ付いているかもしれません。


かくしてM病院デイケアはOPENします。『M病院のタイタニック号』苦難の船出です。

Y島さんはデイケア就任要請を断ります。それはなぜか?

実は彼女、パート勤務の看護婦だったのです。

まだ保育園に通わせてる小さな子供がおり、勤務時間も夕方5時まで。
デイケアの創立メンバーなどの重責は担えないと、ワタシとふたり、院長に呼び出されたときに辞退を申し出たのです。

しかし院長は、平然とした表情でY島さんを説き伏せます。

「君たちがデイケアの専属になるが、君たちだけがやるわけじゃない。

病院のデイケアなんだ。病院全体でやるんだ。他の部署のスタッフも一緒にやるんだ。」


はい。この理屈でいうと、ビジンダーさんが他の部署に協力を求めたことも『院長のお墨付き頂いてます』ということになりますね。

「じゃ、アンタなんでそれ言ってくれなかったの!?」

と思われるかもしれませんが・・・残念なお知らせ。

その院長の言葉は、デイケアが始まってすぐに反故にされてしまうのです。

もちろん院長の言葉に嘘はありません。院長は病院全体でやる、やれるものと思っていました。

しかし病棟のブタゴリラ婦長が完全に拒否。デイとは関わらない姿勢を貫きます。


もちろん当時は腹も立ちました。しかし・・・あの、ワタシが病棟を庇うのも変な話ですが、病棟のほうにも事情があったのです。

実はデイが始まる以前に、数名の看護士さんが辞めていたのです。ブタゴリラ婦長の強引な病棟改革が原因と考えられます(実際に4階食堂でT田さんが不満を漏らしているのを目にしました)。

辞めた数名は全員正規雇用の看護士。そして残った看護士のうち3名はパート勤務、Y島さんと同じ小さなお子さんがいて日勤しか出来ない人たちです。

つまり・・・そのとき病棟は、夜勤のシフトが組めないぐらいの状況に陥っていたのです。

病院は現状を打破するため、そして2度とこのようなことが起こらないよう思い切った行動に出ます。

訪問看護部を新設し、そこにパート勤務の看護士全員を異動。辞めた数名とパート看護士の分の補充を、新たに雇う正規雇用の看護士で埋めようとしたのです。

デイケアが始まったころは、まだ病棟の看護士は足りていなかったように思います。入ってきてすぐ辞めた人もいましたから。

そして新たに雇った看護士も教育期間の時期でした。そんな大変なときにデイに協力など出来ないというワケです。


「でもそのあと病棟看護士さんの数、揃ったワケだよね? なぜ院長の意向を言わなかったのか!?」

とまでは思わないでしょう? もう昔の話だし。ってゆーか、そのあともいろいろあったんです。

それに院長もワタシがいるところでそう言った手前、ワタシが訪問の仕事をないがしろにしてデイケアに通っても強く注意出来なかった・・・のかもしれませんから。ま、そーいうことで。・・・許ひて( ・人・)


というより・・・実際、病棟に看護士借りに行ってましたよね? ワタシが頼みに行ったのは確か3回。そのうち1回はビジンダーさんから電話が掛かってきたと思います。「休むから看護士借りに行ってくれ」と。

そのときワタシがマゴマゴしてたの・・・もう覚えてないでしょうね。

「そーいうのはちょっと・・・。」

「なんで!? 病棟行ってきてよ!!」

みたいな。

「病棟に行って、『今日ひとり看護士をデイに下ろしてください』って。はい、ここで1回言ってみて。」

そこまで言われたような記憶あります Σ( ̄ロ ̄|||)

「きょ、今日、看護士をデイに・・・下ろして・・・。」

言えるじゃん、みたいな。

「だからそれを病棟に行って、言えばよかろう?」

「う~~ん・・・。」

・・・覚えてないですよね。曇りで暗い日、病棟でワタシの対応したのは数週間? で辞めた副婦長のS水さんでした。

長くなってきたので、こぼれ話で書きます。


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こぼれ話

本当に辛かったんです。病棟に看護士のこと頼みに行くの。

毎回言われるんです。


なんであんたが来るのっ!?


副婦長のS水さんに言われたのは


あなたは訪問介護の所長でしょ!?


・・・そうです。ワタシは訪問介護の所長様でございます。

でも面識ほとんどないS水さんにそう言われたってことは、ヘルパーステーションって結構認知度あったんですかね? 誰も知らない知られちゃいけない事業所だと思ってたのに。

で、そのS水さんのときが2回目で。

3回目は、なんかナースステーションで話し合いがあってるとき。みんなイスに座ってて、婦長が何事か話してるときに頼みにいったんです。


「だからなんであんたが来るのっ!?」


「いや、あの、その・・・。」


「〇〇〇〇さんが来るのが筋(すじ)でしょ?!」


「いや、ですからその〇〇〇〇さんが休みなので・・・。」


「ハァ~・・・。」


婦長、深い溜め息。


「あの、誰か、看護士さん。・・・お願いしますね。」


早々に立ち去ろうとしたときにですよ。誰か忘れたけど看護士さん。



「あ、ちょっと待って。〇〇〇〇くん。・・・あ、違った。」



ナースステーション内、大爆笑。



・・・あの、何度も申し上げますけどね。当時のワタシは、いわゆる叩き上げで訪問介護事業所の所長に昇り詰めた男なんですよ。

人様から笑われるような立場ではないはずです(´;ω;`)


・・・でも〇〇〇〇くんと呼ばれたのはちょっと嬉しかったりして。←なんじゃそりゃ

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デイケア施設新設・・・。

当初は病院駐車場裏の畑? を買い取って、そこ一面に建てるみたいな。そんな壮大な計画まであったようです。

結局は病院裏の、院長先生の旧家・・・今でいうシェアハウス風の女子寮になっていた一軒家を解体して、そこに病院と繋がるように建てることで落ち着きました。


しかしこの『デイケア新設』に意外な人物たちが異を唱えます。そのひとりが、事務長と懇意のはずのブタゴリラ婦長です。

当時の噂というか実際そうだったのですが、婦長は定年退職後に自らグループホームを経営する予定でした。その際、M病院から(グループホーム)入所に適したお年寄りを紹介してもらうつもりだったらしいのです。

もちろんグループホームとデイケアでは利用者のタイプも異なりますが、それでも入院しているお年寄りをM病院に引き留める施設:デイケアは、婦長にとって邪魔な存在だったのです。


そしてもうひとり、デイケア新設に反対する人物がいました。

院長の奥様、副院長です。

副院長の実家は老人ホームを経営していました。ですが婦長と違って、M病院のお年寄り患者が欲しいわけではありません。


「介護が必要なお年寄りは、実家の老人ホームに入ってもらえばいい。

なにも借金してまで 
デイを建てる必要ないでしょう?」


・・・確かに。まだ介護保険制度が海のものかも山のものかもわからない時代。失敗すれば病院の経営は傾きます。


しかし院長は頑なでした。

「他の病院はどこも老人保健施設を始めようとしている。もしM病院の(通院・入院含む)高齢患者がその施設に入所したら、そっちの病院で診察を受けるようになるだろう。患者をとられてしまう。それは避けたい。」

院長であり理事長である院長の意見ですから。通らないワケがありません。


かくして、デイケア新設は決定事項となりました。そして創立メンバーに選ばれたのが病棟勤務の看護婦だったY島さんと、介護福祉士であるワタシだったのです。

実はワタシは、事務長から最初にデイの計画を聞いたそのときに「もしデイが出来たらそっちで~」と言われていたのです。だからすんなり部署の移動を受け入れられました。

しかしY島さんはその要請を1度断ります。


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こぼれ話

デイケアが新設された同じころに、機関紙『M風通信』の発行もスタートします。

ただ、当初は『M風通信』という名称は決まっておらず、デイケアの名称を含め職員全員からアンケートをとったのです。

部署名:
個人名:
デイケア名称:
機関紙名称:

こんな感じ。わざわざ選考委員まで組織されていました。

その選考委員のひとりがリハ室に来ました。

「部署名と個人名は絶対記入してください。

そして・・・なんでもいいですから。どんなんでもいいですから。デイケアと機関紙の名前、書いてください!! 全員参加と院長に言われてます!! 」

「なんでもいいって言われてもね・・・ホントになんでもいいの?」

「なんでもいいです!! 院長は見ませんから!! 好きに書いてください!!」

「そう・・・。」


で、ワタシが書いたのが

デイケア:ふたりの愛蘭島(アイランド)
(愛蘭島の漢字はわざわざリハのPCで調べました)

機関紙:少年ジャンプ

「これでいい?」

「いいです。大丈夫です。院長は見ませんから。」


それから数日後。デイケアは普通に『M病院デイケア』・機関紙は『M風通信』に決まりました。ワタシの案は採用されませんでした。


ちなみに・・・全員のアンケートに目を通し、その上でこの名称を決めたのは 

院長先生だったらしいです。
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