ワタシが幼少期を過ごした1970年代はオカルトブームで。

いろんなものがありました。ノストラダムス、ツチノコ、ネッシー、コックリさん、口裂け女・・・心霊を扱ったテレビ番組も多かったです。

子供の多い時代でしたから。いわゆる『子供騙し』というやつですかね。


『呪い』というのは太古の昔からあったようですが、これもオカルトのひとつと考えて間違いはないでしょう。

科学で証明出来ないことは全てオカルトです。そして「超常現象・オカルトなど存在しない」というのがマトモな大人の考え方です。

呪いだって、一体どれだけの人が呪われ、そのうち何人が不幸になったか。こんなこと調べ様がないのですが、統計が取れたらハッキリすると思います。

・・・いや、ハッキリしないですね。なぜなら呪われた人が、偶然その後に不幸になることだってあるワケですから。

呪われるような人だから、まわりの人たちから嫌われて不幸になることだってあるでしょう。

「呪いなんて効かない」ということを証明出来る可能性はあっても、『呪い』を証明する方法はないのです。


だけどワタシは思うんです。

呪いというものが存在するといいな、と。

人々の呪いが叶うといいな、と。


またバカなことを言い始めたと思われてることでしょう。はい、ワタシはバカなんです。

記事の冒頭に『子供騙し』と書きましたが、その『子供騙し』が大好きな大人です。いや大人ではなく『永遠の少年』というほうが相応しいですかね。

・・・間違えました。少年ではなく『美少年』でした。


それはさておき『呪い』です。一体どのような人が、呪いに頼ったりするのでしょう?

それは・・・悔しい思いをした人です。負けた人です。弱い人です。

そして、直接やり返すことの出来ない人です。

でもこれは妥当なんですね。何かある度、誰もがその都度やり返していたら世の中無茶苦茶になってしまいますから。


ワタシが言ってる呪いというのは・・・例えば藁人形に釘とかの儀式的なものだけでなく、「呪う」という気持ちを持ち続けることも含まれています。

状況的にだろうと性格的にだろうと仕返ししたくても出来ない人は、もう呪うしかないんです。そうするしか方法がないんです。

「嫌なことは忘れたらいい」なんて簡単に言う人もいますが、そんな人にはワタシからグーパンチ差し上げます。そして「忘れたらいい」と言ってあげます。


強く念じれば、思いは通じるかもしれない。自分を苦しめた人を不幸にすることが出来るかもしれない。

・・・呪いは弱い人が見る、暗い希望の光です。

呪いは願い なんです。

そしてワタシがなぜ「呪いが存在するといいな」などと思うのか。それはワタシ自身が弱い人間だからです。



M原さんの『お別れスピーチ』というより『呪いのスピーチ』後の翌週月曜日。

目ざといですね、ねずみ男事務長。朝の送迎時、既に怒っていました。

「土曜日、デイケアでM原さんのお別れ会みたいなのやったそうやな!! 勝手にデイケアを使いやがって!!」


「ワタシが使っていいと言いましたけど・・・。」

正直に言いました。いや、あとでバレたら面倒だな、とか、そんなことじゃなく。もう・・・呆れてました。

「病院の施設なんだぞ!! キミが勝手に許可出していいワケないだろう!!」

・・・このときは思いましたよ。「あなた達は勝った側なんだから、もういいじゃないか」と。

でも、今となってはワタシもわかります。憎しみの感情って、勝ち負けで解消できるものじゃないですもんね。
ねずみ男事務長、本当にM原さんのこと嫌ってましたもんね。


M原さんが呪った「あの3人」、その3人目は結局わからず終いでしたが、M原さんの呪いが通じたのか・・・南木さん(仮名)は離婚、そしてそれがねずみ男事務長やブタゴリラ婦長を悲しませることになりました。



次回、時を戻します。夏に行われたバーベキュー、消えたフリンマンとws主任のふたり、その翌週からの後日談です。