『M病院物語』はワタシがM病院に就職し、そして退職するまでの、十数年間の日々を綴ったバイオグラフィーです。

その長い年月の中で・・・実は書きたくない時期の話があります。

それはデイケア初代看護婦Y島さんが辞めたあとから、ビジンダーさん、あなたがM病院にやって来るまでの期間です。


こんなこと言うと逆に失礼になるかもしれませんが、ワタシはY島さんを女性という目で見たことはありません。

「男女の間に友情は無い」なんて言葉もありますが、ワタシとY島さんの間にも、そんなものありません。

しかし、信用に足る人でした。

歳が同じというのもあったんでしょうね。そして彼女の人柄というか、人となりというか。

この『人となり』というのを、一体どう言って説明すれば理解してもらえるでしょう?

しばらく思案したあと、ピッタリの言葉が浮かびました。

年齢も職種も違いますが・・・

N本とは全く逆の人です。はい。


デイケアの開設が決定したとき、ワタシはまだ30歳前後でした。

たとえ安月給の、一介の介護職員に過ぎなくとも。

病院が始める新規事業。そういう大きなプロジェクトを任されるのは、それぐらいの年齢の男にとっては、とても嬉しいことです。

それこそ『やりがいのある仕事』です。

当時はまだ親も元気でした。仕事だけに集中できます。ワタシはパチンコも、趣味だった個人HPやチャットもやめました。

というより、他施設での研修や話し合いでの残業続きで、やめざるを得なかっただけですけど。

確かこのころは、今でも付き合いのある友人とも会っていません。

本当に全力で、デイケアの設立準備に勤しみました。

・・・ええ。Y島さんと一緒に。


Y島さんとは空いてる時間にいろいろ話ました。もちろんデイケアの話です。

デイケアの将来について・・・陳腐と思われるかもしれませんが、夢を語り合いました。

そしてデイケアが始まって以降。

苦難の道のりでした。いろいろありました。けれども、このまま一緒にやっていけるだろうと信じていました。疑いもしませんでした。

彼女にとっては、ワタシはただの一緒に働くスタッフに過ぎなかったかもしれません。しかしワタシからすると、志を共にする同志だったのです。

といってもY島さんは看護婦であり、現場の責任者的立場でもあるのです。ワタシなんかより、ずっと大変だったことでしょう。


ただ・・・

「あのころは大変だったね。」

なんてお互い笑える日が来たらいいな、と。そう思っていました。


しかしその日は来ませんでした。

ワタシは最も信頼している『仕事上のパートナー』を失いました。

けれどもワタシはデイの創立メンバーとして。

最初から関わっている職員として。

なんとしてでもデイケアを守らなければなりません。


・・・デイに対する思い入れが強かったんですね。今にして思えば、その中にY島さんに対する思い入れも含まれていたと思います。

そこに新しい看護婦がやってきます。デイケア二代目の看護婦です。

想像に難しくないでしょう。

その二代目看護婦さん。いかに仕事、やり辛かったか・・・ということを。