仕事ですから。安月給とはいえ、お金を貰ってやっていたことですから。
当たり前のことをやってきただけ。実際そうでしょう。
しかしワタシはデイケア開設前から、心臓病を患っていたんです。
そしてM病院デイケアのため、共に尽力してきたY島さんがいなくなり。
その後、二代目の看護婦もいなくなり。各部署から応援はあったとはいえ、ひとりになり。
・・・今から思い返してみれば、それなりの苦労はあったと思います。
その自分を、院長先生は見ていてくれて。その苦労が実を結んで。ワタシは晴れて、訪問介護事業所の所長に選ばれたワケです。
しかしその後・・・
ブーカやN本のために
もっと苦労することになるとは!!
話を戻します。ブーカが「訪問に行きたくない、事務的な仕事をしたい」などと宣いやがったときです。
N本はワタシに、こう言いました。
「所長としての事務的業務をブーカさんにやらせて、〇〇チさんが訪問に行けばいいんじゃないですか?」
「〇〇チさんが率先して訪問介護をすれば、ブーカさんだって・・・そういう
上司なら付いていきますよ。」
「自分ががんばる姿を見せることで、部下をやる気にさせる、引っ張っていく。私は〇〇チさんに、そんな人になってほしい。」
・・・もっともらしく聞こえますけど。
凄く失礼なこと言ってると思いませんか?
それをN本、ワタシに 言って聞かせる ように。 諭すように ですよ。
少し軽蔑を帯びた悲しい顔・・・いや、表現するの難しいです。
「この人、本当にどうしようもない人だな」的な。そんな表情。ワタシからすると、見下されたかのような。そんな印象持ちましたね。
とにかくそんな感じで。ワタシに言ったんですよ。
・・・もうね。抱き締めてやりたくなりましたよ。
「お前、本当にバカだなぁ。」
って。
思いっきり、抱き締めてやりたくなりました。
そしてそのあと
首絞めて殺してやろうか!?
思いました。本当に思った。
一体、何様のつもりなのか!?
院長先生はワタシに「キミは訪問介護には行くな」と言いました。しかしワタシは院長先生の指示に従わず、開設当初から訪問に出向いてました。
それはブーカが訪問に行く時間帯に、別の訪問の予定が入った。それだけが理由ではないんです。
ブーカがデイにいるとき、ワタシが訪問に行っていない。そういうときもあったでしょう?
・・・自分もやってみたいと思ったんです。訪問介護を。
ワタシの介護職のスタートはT病院、病棟の看護助手でした。
その後、M病院ではリハ助手、デイケアを担当させていただき・・・あと自分が未経験なのは、大まかにいえば訪問介護だけですよね。
それはやりたいと思いますよ。そこまできたら全部やりたい。
いわゆる自己実現ってやつですかね。介護、底辺職なんて言われますけど。それでもやるからには、全て経験して。全て出来るようになりたい。
介護ならなんでも出来る、どこに行っても通用する、オールラウンドプレイヤーになりたい!!
そんな熱い感情が、そのころのワタシにはありました(笑)。
もちろんそんな理由で、ワタシのような実家暮らし・・・
それこそ、ろくすっぽ家事も出来ないようなオッサンが訪問介護に出向くこと。あまりいいことでもないような気もしますが・・・。
ワタシが利用者の立場だったら、その日のうちに断ります(笑)。
だけど当時は若かったんですね。真剣でした。
ブーカが検便してると聞きました。家事支援で調理をしてましたから、必要だったんですね。
それをワタシ、所長なのに知らなかったもので。ねずみ男事務長とS原さんで、ワタシにひと言もなく勝手に段取り進めてくれてたようです。
それでワタシ、言ったんです。朝送迎のとき、ねずみ男事務長に。
「ワタシも検便したほうがいいですか?」
って。
「え、なんで??」
「いや自分も、訪問先で調理する機会があるかもしれないから・・・。」
そしたらねずみ男事務長、なんて言いやがったと思います?
「キミの作った料理とか、
誰が食べたいと思うんだよっ!!」
(`ε´)
頭にくるです。
だけどそうやって、自分で興味持ってやってる仕事でもですよ。
N本にそんなふうに言われたら アイツに言われたからやってる みたいになってしまうじゃないですか。それは嫌でしょう?
そういうのがわからんヤツでしたね。
親の顔が見たいですよ。親もやっぱりアレですかね。親もチビで、目と目が離れているんですかね? 目が耳の位置にあったりして。
N本の、この発言のあと。ワタシは気管支炎を患い、M病院に入院することになります。
デイと訪問と両方やって、その無理が祟った・・・のではありません。
N本とブーカと関わることで生じるストレス。これが原因です。
当たり前のことをやってきただけ。実際そうでしょう。
しかしワタシはデイケア開設前から、心臓病を患っていたんです。
そしてM病院デイケアのため、共に尽力してきたY島さんがいなくなり。
その後、二代目の看護婦もいなくなり。各部署から応援はあったとはいえ、ひとりになり。
・・・今から思い返してみれば、それなりの苦労はあったと思います。
その自分を、院長先生は見ていてくれて。その苦労が実を結んで。ワタシは晴れて、訪問介護事業所の所長に選ばれたワケです。
しかしその後・・・
ブーカやN本のために
もっと苦労することになるとは!!
話を戻します。ブーカが「訪問に行きたくない、事務的な仕事をしたい」などと宣いやがったときです。
N本はワタシに、こう言いました。
「所長としての事務的業務をブーカさんにやらせて、〇〇チさんが訪問に行けばいいんじゃないですか?」
「〇〇チさんが率先して訪問介護をすれば、ブーカさんだって・・・そういう
上司なら付いていきますよ。」
「自分ががんばる姿を見せることで、部下をやる気にさせる、引っ張っていく。私は〇〇チさんに、そんな人になってほしい。」
・・・もっともらしく聞こえますけど。
凄く失礼なこと言ってると思いませんか?
それをN本、ワタシに 言って聞かせる ように。 諭すように ですよ。
少し軽蔑を帯びた悲しい顔・・・いや、表現するの難しいです。
「この人、本当にどうしようもない人だな」的な。そんな表情。ワタシからすると、見下されたかのような。そんな印象持ちましたね。
とにかくそんな感じで。ワタシに言ったんですよ。
・・・もうね。抱き締めてやりたくなりましたよ。
「お前、本当にバカだなぁ。」
って。
思いっきり、抱き締めてやりたくなりました。
そしてそのあと
首絞めて殺してやろうか!?
思いました。本当に思った。
一体、何様のつもりなのか!?
院長先生はワタシに「キミは訪問介護には行くな」と言いました。しかしワタシは院長先生の指示に従わず、開設当初から訪問に出向いてました。
それはブーカが訪問に行く時間帯に、別の訪問の予定が入った。それだけが理由ではないんです。
ブーカがデイにいるとき、ワタシが訪問に行っていない。そういうときもあったでしょう?
・・・自分もやってみたいと思ったんです。訪問介護を。
ワタシの介護職のスタートはT病院、病棟の看護助手でした。
その後、M病院ではリハ助手、デイケアを担当させていただき・・・あと自分が未経験なのは、大まかにいえば訪問介護だけですよね。
それはやりたいと思いますよ。そこまできたら全部やりたい。
いわゆる自己実現ってやつですかね。介護、底辺職なんて言われますけど。それでもやるからには、全て経験して。全て出来るようになりたい。
介護ならなんでも出来る、どこに行っても通用する、オールラウンドプレイヤーになりたい!!
そんな熱い感情が、そのころのワタシにはありました(笑)。
もちろんそんな理由で、ワタシのような実家暮らし・・・
それこそ、ろくすっぽ家事も出来ないようなオッサンが訪問介護に出向くこと。あまりいいことでもないような気もしますが・・・。
ワタシが利用者の立場だったら、その日のうちに断ります(笑)。
だけど当時は若かったんですね。真剣でした。
ブーカが検便してると聞きました。家事支援で調理をしてましたから、必要だったんですね。
それをワタシ、所長なのに知らなかったもので。ねずみ男事務長とS原さんで、ワタシにひと言もなく勝手に段取り進めてくれてたようです。
それでワタシ、言ったんです。朝送迎のとき、ねずみ男事務長に。
「ワタシも検便したほうがいいですか?」
って。
「え、なんで??」
「いや自分も、訪問先で調理する機会があるかもしれないから・・・。」
そしたらねずみ男事務長、なんて言いやがったと思います?
「キミの作った料理とか、
誰が食べたいと思うんだよっ!!」
(`ε´)
頭にくるです。
だけどそうやって、自分で興味持ってやってる仕事でもですよ。
N本にそんなふうに言われたら アイツに言われたからやってる みたいになってしまうじゃないですか。それは嫌でしょう?
そういうのがわからんヤツでしたね。
親の顔が見たいですよ。親もやっぱりアレですかね。親もチビで、目と目が離れているんですかね? 目が耳の位置にあったりして。
N本の、この発言のあと。ワタシは気管支炎を患い、M病院に入院することになります。
デイと訪問と両方やって、その無理が祟った・・・のではありません。
N本とブーカと関わることで生じるストレス。これが原因です。
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