時間が遡(さかのぼ)ります。
またしても、とある土曜日のお話です。
そのころM病院デイケアは、まだ土曜日の営業を行っていませんでした。
ワタシはリハビリ助手の仕事があるため、その日は病院に来ていました。訪問介護事業所は設立されてなかったころだと思います。
ご存知のとおり、土曜日のリハビリ業務は昼の1時までです。当時のワタシは、その後は必ずデイケア施設に立ち寄り、補足的な業務を行っていました。
主にやっていたことは、一週間分の寿システムの見直しです。他にもやり残したことがあれば、この時間を使って済ませていました。
その日の昼下がり、ワタシはいつもの土曜日と同じくデイケアにいました。そしていつもと同じくパソコンのディスプレイを眺めていました。
そこへ外来の看護婦さんが訪れます。K本さんです。ワタシが就職する前からM病院で働いている職員のひとりです。
彼女はワタシにこのようなことを言います。
「今日がM原さんの勤務最終日。みんなでM原さんに感謝の気持ちを伝えたいが、広い場所がない。ここを使わせてもらってよいだろうか?」
M原さんとは・・・K本さん同様、ワタシやねずみ男事務長が就職する前からM病院に在籍している看護婦さんです。外来主任という立場でした。
長い間、M原さんは病院を仕切っていました。けれども好き放題やって周囲を困らせていたワケではありません。むしろみんなから慕われていました。
いつもは寡黙で気難しそうに見えますが、話せば結構気さくな人で、なによりリーダーとしての資質に富んでいるとでもいいましょうか。
黙っていても人が付いて来るような人です。
そんなM原さんのことを、ねずみ男事務長は苦々しく思っていました。
「なんで一介の看護婦でしかない人間が病院を取り仕切っているんだ!?」
ってワタシに言われましても。
やがてふたりの対立が始まります。その過程で南木さん(仮名)やブタゴリラ婦長もやって来ます。
少し話が反れますが・・・ブタゴリラ婦長、彼女のインパクトは絶大でした。
彼女のことを嫌って数名の看護師が辞めたのも事実です。結果、病棟は夜勤のシフトが組めない状況に陥ります。
そのことが、ブタゴリラ婦長の首を絞めることになります。
いや、「絞められる」という表現が適当でしょうか(笑)。
ねずみ男事務長といえば、地獄行くんといつも一緒にいるイメージが強いかもしれません。
しかし地獄行くんがM病院の一員になる以前、いつも事務長の傍にいて行動を共にしていたのは・・・意外にもワタシだったのです。
けれどもそれは当時の状況が生みだした『成り行き』みたいなものでした。
というのも・・・デイケア二代目看護婦と主任PTだった男ws先生が、同じぐらいの時期に立て続けに退職してしまったのです。
当然、デイの正規のスタッフはワタシだけになってしまいます。
そのときになって初めて病棟が協力してくれるようになったのですが、それでも手伝ってくれるのは午前中だけ。
それで男ws先生が、辞める前に言ってくれてたんです。
「〇〇チさんがトイレにでも行ってる間に利用者が抜け出して、前の道路で事故にでも遭ったらどうするのか?」
・・・ここだけ切り取ると男ws先生、辞める直前までワタシやデイのこと考えてくれてた『いい人』みたいに思われるかもしれませんが。実際、違います。
とにかくそんな経緯を経た結果、ねずみ男事務長がデイケア施設に常駐するようになったのです。
とはいえデイケア利用者の送迎が終わったあとは、使われるのはむしろワタシのほうでした。
退院する病棟患者を家まで送迎したり、転院する患者をその病院まで送ったり。本来、家族がするようなことまで引き受けてましたから。
デイの仕事は夕方5時で終わったのに、病棟患者の送迎させられて。終わったのが夜の9時、なんてこともありました。
それはともかく・・・とにかく、ねずみ男事務長と一緒にいることが多かったワタシですが。向こうも気を許したのか、たまにM原さんのこと話してました。
当然いい話ではありません。
だけどワタシは、地獄行きくんとは違うのです。彼のように、ねずみ男事務長に心酔などしてないのです。
正直、冷ややかな気持ちで聞いていました。内心、「そんなことよりデイのこと考えたら?」と思ってました。
なにしろ心臓の悪いワタシしか正規スタッフがいないのですから。
前置きが長くなりましたが、その後に紆余曲折があり、結局はM原さんが辞めることになったのです。
そのお別れの会にデイケア施設を使わせてくれとのこと。
ワタシに権限などありません。しかしその時点で事務長はもう帰っていたし、院長先生だったら絶対に許してくれていたと思います。
むしろ院長先生がそこにいたら、その会に一緒に参加してくれていたことでしょう。そしてM原さんに、労(ねぎら)いの言葉を掛けていたでしょう。
ワタシが「使っていい」と許可を出しました。
ワタシは自称『院長の隠し子』です。そしてデイケアの創立メンバーなのです。
看護婦さんが次々と辞めていこうと、自身が心臓を病もうと。デイで尽力してきた人間です。
そう、ワタシこそ ミスター・デイ なのです。
ワタシのデイです。いや、ワタシがデイです。
そのワタシがデイケア施設を自由に使ったとしても、それは許されることだと思います。いや、許されなければならない。
そしてワタシは・・・M病院を愛した男です。
そのワタシが功労者であるM原さんを、M病院のいち時代を支えたM原さんを、退職する日に何もなく寂しく帰らせることなど出来なかったのです。
ワタシは間違ってない!!
時計は1時40分をまわっていました。普通なら昼までの勤務の職員は既に帰っている時間です。
デイケアには大勢の職員が集まりました。みんなM原さんに感謝の意を伝えたくて残っていたのです。
M原さんの人望の厚さを物語っています。 つづく
またしても、とある土曜日のお話です。
そのころM病院デイケアは、まだ土曜日の営業を行っていませんでした。
ワタシはリハビリ助手の仕事があるため、その日は病院に来ていました。訪問介護事業所は設立されてなかったころだと思います。
ご存知のとおり、土曜日のリハビリ業務は昼の1時までです。当時のワタシは、その後は必ずデイケア施設に立ち寄り、補足的な業務を行っていました。
主にやっていたことは、一週間分の寿システムの見直しです。他にもやり残したことがあれば、この時間を使って済ませていました。
その日の昼下がり、ワタシはいつもの土曜日と同じくデイケアにいました。そしていつもと同じくパソコンのディスプレイを眺めていました。
そこへ外来の看護婦さんが訪れます。K本さんです。ワタシが就職する前からM病院で働いている職員のひとりです。
彼女はワタシにこのようなことを言います。
「今日がM原さんの勤務最終日。みんなでM原さんに感謝の気持ちを伝えたいが、広い場所がない。ここを使わせてもらってよいだろうか?」
M原さんとは・・・K本さん同様、ワタシやねずみ男事務長が就職する前からM病院に在籍している看護婦さんです。外来主任という立場でした。
長い間、M原さんは病院を仕切っていました。けれども好き放題やって周囲を困らせていたワケではありません。むしろみんなから慕われていました。
いつもは寡黙で気難しそうに見えますが、話せば結構気さくな人で、なによりリーダーとしての資質に富んでいるとでもいいましょうか。
黙っていても人が付いて来るような人です。
そんなM原さんのことを、ねずみ男事務長は苦々しく思っていました。
「なんで一介の看護婦でしかない人間が病院を取り仕切っているんだ!?」
ってワタシに言われましても。
やがてふたりの対立が始まります。その過程で南木さん(仮名)やブタゴリラ婦長もやって来ます。
少し話が反れますが・・・ブタゴリラ婦長、彼女のインパクトは絶大でした。
彼女のことを嫌って数名の看護師が辞めたのも事実です。結果、病棟は夜勤のシフトが組めない状況に陥ります。
そのことが、ブタゴリラ婦長の首を絞めることになります。
いや、「絞められる」という表現が適当でしょうか(笑)。
ねずみ男事務長といえば、地獄行くんといつも一緒にいるイメージが強いかもしれません。
しかし地獄行くんがM病院の一員になる以前、いつも事務長の傍にいて行動を共にしていたのは・・・意外にもワタシだったのです。
けれどもそれは当時の状況が生みだした『成り行き』みたいなものでした。
というのも・・・デイケア二代目看護婦と主任PTだった男ws先生が、同じぐらいの時期に立て続けに退職してしまったのです。
当然、デイの正規のスタッフはワタシだけになってしまいます。
そのときになって初めて病棟が協力してくれるようになったのですが、それでも手伝ってくれるのは午前中だけ。
それで男ws先生が、辞める前に言ってくれてたんです。
「〇〇チさんがトイレにでも行ってる間に利用者が抜け出して、前の道路で事故にでも遭ったらどうするのか?」
・・・ここだけ切り取ると男ws先生、辞める直前までワタシやデイのこと考えてくれてた『いい人』みたいに思われるかもしれませんが。実際、違います。
とにかくそんな経緯を経た結果、ねずみ男事務長がデイケア施設に常駐するようになったのです。
とはいえデイケア利用者の送迎が終わったあとは、使われるのはむしろワタシのほうでした。
退院する病棟患者を家まで送迎したり、転院する患者をその病院まで送ったり。本来、家族がするようなことまで引き受けてましたから。
デイの仕事は夕方5時で終わったのに、病棟患者の送迎させられて。終わったのが夜の9時、なんてこともありました。
それはともかく・・・とにかく、ねずみ男事務長と一緒にいることが多かったワタシですが。向こうも気を許したのか、たまにM原さんのこと話してました。
当然いい話ではありません。
だけどワタシは、地獄行きくんとは違うのです。彼のように、ねずみ男事務長に心酔などしてないのです。
正直、冷ややかな気持ちで聞いていました。内心、「そんなことよりデイのこと考えたら?」と思ってました。
なにしろ心臓の悪いワタシしか正規スタッフがいないのですから。
前置きが長くなりましたが、その後に紆余曲折があり、結局はM原さんが辞めることになったのです。
そのお別れの会にデイケア施設を使わせてくれとのこと。
ワタシに権限などありません。しかしその時点で事務長はもう帰っていたし、院長先生だったら絶対に許してくれていたと思います。
むしろ院長先生がそこにいたら、その会に一緒に参加してくれていたことでしょう。そしてM原さんに、労(ねぎら)いの言葉を掛けていたでしょう。
ワタシが「使っていい」と許可を出しました。
ワタシは自称『院長の隠し子』です。そしてデイケアの創立メンバーなのです。
看護婦さんが次々と辞めていこうと、自身が心臓を病もうと。デイで尽力してきた人間です。
そう、ワタシこそ ミスター・デイ なのです。
ワタシのデイです。いや、ワタシがデイです。
そのワタシがデイケア施設を自由に使ったとしても、それは許されることだと思います。いや、許されなければならない。
そしてワタシは・・・M病院を愛した男です。
そのワタシが功労者であるM原さんを、M病院のいち時代を支えたM原さんを、退職する日に何もなく寂しく帰らせることなど出来なかったのです。
ワタシは間違ってない!!
時計は1時40分をまわっていました。普通なら昼までの勤務の職員は既に帰っている時間です。
デイケアには大勢の職員が集まりました。みんなM原さんに感謝の意を伝えたくて残っていたのです。
M原さんの人望の厚さを物語っています。 つづく