しねしね談

無職のおっさんがなけなしの金を叩いてDVDを借り、夏休みでもないのに感想文を書いてしまいます。ジャンルは主に洋画と海外ドラマ、どちらも古いのが好きです。

2022/02

訪問介護が開設されてすぐのころです。廊下でS原さんに呼び止められました。

「ブーカの残業時間が凄いことになってる!! これは異常です!!」


自分は訪問の所長です。当然、デスクワークもあります。デイの寿システムも、一手に引き受けていましたから。レセプトの時期などは帰りが遅くなります。

リハビリのほうの、外来患者の名簿みたいなのも作っていました。毎月です。
デイケアの仕事が終わったあとに、です。嫌でも残業になります。

そのワタシの残業代を遥かに上回る、ブーカの残業時間。

その当時、訪問の利用者はほんの数名です。そしてその記録付け以外の事務作業、ブーカには一切させていません。


「でも、理由はわかっているんです。」

と、したり顔のS原さん。

・・・だったら「異常です」などと言わず、さっさとその理由を述べよって感じなんですけど。


「ブーカ、デイケアの仕事が終わったあとに訪問事業所(2階)に来て・・・

寝てるんです。 グーグーいびき掻いて。

これはボクだけじゃなく、ケアマネージャーの小藪さんや他の人たちも知っています。

・・・毎日。毎日ですよ。訪問のパソコンの席に座って寝てるんです。そしてボクたちが帰るころ、ようやく起き出して帰ってるんです。」


なるほど。確かにデイケアの業務終了後、

「そろそろみんな帰ろうか?」

となるころ。そこにブーカの姿はありませんでした。

ある時間帯になると、フっといなくなっていたんですね。そのこと、気付いてはいました。

ただ・・・てっきり先に帰ってるものとばかり思っていたんです。別にやることなければ先に帰っていいワケですから。大して気にもしてなかったんです。

それがまさか、2階で寝てるとは。


「どうしますか? 〇ブチさんが所長だから先に報告したんですが、もしアレだったら・・・事務長のほうに言って、注意してもらいましょうか?」

「いや、自分が言う・・・。」


後にデイのスタッフが、早く来る必要がない日に朝早く来て。早出残業代を請求して問題になったことありましたよね。覚えているでしょ?

その件にせよ、このブーカの件にせよ。これ 泥棒 なんですよ。

・・・いや、詐欺 にあたるのかな? いずれにせよ悪いことです。

で、ワタシはブーカの上司ですから。ワタシが言わなきゃいけないんです。

それですぐにデイケアに行き、ブーカを隅のほうに呼んで注意しました。


別に怒ったワケでも叱ったワケでもありません。本当に「よくないよ」ぐらいのことを言ったまでです。

するとどうでしょう。ブーカ、突然大声で泣き始めたのです。


「なんでそんなこと言うんですかぁーーー!!

私は一生懸命やっているのにーーー!!」


・・・いや、寝てるだけやん。一生懸命、寝てるんですかね?


「うわぁ~~~ん(泣)!!」


だって。で、泣きながらN本のほうをチラチラ見てるのです。

そこでです。ここでN本がブーカに加勢しにくるんですけど。


・・・N本は、元々は訪問スタッフとして採用したんです。それを直前で、本当に直前で断って、デイケア勤務となったのです。

訪問事業所としては、少なからず迷惑をかけられてるワケです。

マトモな神経の持ち主だったら、何も言えないはずですよ。「自分は言える立場じゃない」そう思うのが普通の人間じゃないですか?

そうでなくとも、これは訪問事業所内の問題なんです。デイのスタッフが、口を挟んでいい事柄ではありません。


それが


「なんでブーカさんを認めてあげないんですか!?」

「ブーカさん、がんばっているじゃないですか!!」

「あなたの言い方が悪い!!」


これですよ。

・・・もうね。もう・・・もういいや、ってなりますよ。ホントに。


このときビジンダーさん、いました。凄く迷惑そうでした(笑)。

だけどこっちだってムっとしますよ。確かにデイケアをお騒がせして申し訳ありませんでしたけど、訪問のことに口出ししてきてるのは、デイのスタッフのN本のほうなんですよ。

けれど、それから数日後だったでしょうか? 解決策を出してくれたのは、確かビジンダーさんだったような気がします。

「残業したというのなら、その結果を見せてもらえばいい。これをこれだけやりました、というのを。」

なるほど。いいアイデアです。ワタシの記憶が正しければ、ビジンダーさんはこのアイデア、ねずみ男事務長がいるときに提案しています。

そして結局それが病院の決まり事となり、全職員が残業理由をタイムカードに書かなければならない、書いてない場合は支給されない、ということになります。


ちょこちょこ残業することが多かったワタシからすると

「あーまた余計にやること増えた(×o×)」

って感じでしたけど(笑)。それぐらいのこと、大したことないやん? って思われるかもしれませんんが・・・ワタシ、生粋の面倒臭がり屋なんで(笑)。

でも不正を防ぐためですから、仕方ないですね。

・・・もしかしたらワタシの記憶違いかもしれません。違ってたらゴメンナサイm(_ _)m


ちなみにブーカの件、その後の話ですが。このときはそのアイデア、用いる必要はありませんでした。

なぜなら・・・ワタシがS原さんに頼んで、ブーカの残業代をしっかり削ってもらったからです。

ワタシはY島さんに、全幅の信頼を寄せていました。

その分、後任の看護婦を見る目は厳しくなります。

それに加え、デイケアに対する強い思い入れがあります。創立メンバーとしてのプライド、というのも変ですが。そういうのも実際ありました。

・・・いかに二代目看護婦、そして三代目のM本さんがやり辛かったか。容易に想像が出来ると思います。


ビジンダーさんだって最初のころは、ねずみ男事務長がうるさくて困っていたでしょう? あれにデイケアの古株であるワタシが加わる感じです。

もちろんそういうのがよくないこと、わかっています。

しかしワタシはもう引っ込みが付かなくなっていました。古参メンバーとして、言わなきゃいけない立場になっていたのです。

そんなときに降って沸いたような、訪問介護事業所所長就任のお話。

「自分がデイと距離を置いたほうが、デイのためになる」

そう考えたワタシは、デイケアから離れる決意をしました。


これが、ワタシがデイケアを去ろうと思っていた理由です。

それがビジンダーさんの説得で、結局は覆されるのですが。

でも思い出してみてください。ワタシは訪問の所長に就任後、デイケアの運営には一切口を出さなかったでしょう? そういうことです。


話を戻しましょう。このときねずみ男事務長と喧嘩になったことは・・・後々、響きました。

その後、一緒に送迎に行くときに気まずくなったとか。そんなことはどうでもいいんです。

問題は訪問のほうです。いくら院長先生の後ろ盾があって、全権を持たされているといっても・・・そこはやはり初体験です。初めて人の上に立ったんです。

難しいですよ。まして部下が、知恵遅れのブーカですから。本当に難しかった。

そういうとき頼りになるのが、事務長のような立場の人間でしょう。経験もあるし権限も持っている、そんな人間です。


・・・もし、このときの喧嘩がなかったら。

もし、ワタシとねずみ男事務長の関係が良好なままだったら。

当然、何かある度に相談していたでしょう。協力を仰いでいたことでしょう。

もちろん、それでもその後に訪問事業所が迎える運命、変わらなかったとは思いますが。

しかしもっと違うカタチになっていた、とは思います。訪問事業所も、

そしてワタシの人生も。


ビジンダーさん、あなたも当初・・・いや、そこそこ長い期間です。あのふたりのこと、温かい目で見てましたね。

「気持ちよく働かせてやりたい」という思い、持ってましたね。


ワタシは誰にも相談すること出来ませんでした。そして心が蝕まれていきます。

今度はおじいちゃんが、恵方巻を食べる動画です。

 


ずっと家にいるので、灯油の消費量凄いです。

それでは

『M病院物語』はワタシがM病院に就職し、そして退職するまでの、十数年間の日々を綴ったバイオグラフィーです。

その長い年月の中で・・・実は書きたくない時期の話があります。

それはデイケア初代看護婦Y島さんが辞めたあとから、ビジンダーさん、あなたがM病院にやって来るまでの期間です。


こんなこと言うと逆に失礼になるかもしれませんが、ワタシはY島さんを女性という目で見たことはありません。

「男女の間に友情は無い」なんて言葉もありますが、ワタシとY島さんの間にも、そんなものありません。

しかし、信用に足る人でした。

歳が同じというのもあったんでしょうね。そして彼女の人柄というか、人となりというか。

この『人となり』というのを、一体どう言って説明すれば理解してもらえるでしょう?

しばらく思案したあと、ピッタリの言葉が浮かびました。

年齢も職種も違いますが・・・

N本とは全く逆の人です。はい。


デイケアの開設が決定したとき、ワタシはまだ30歳前後でした。

たとえ安月給の、一介の介護職員に過ぎなくとも。

病院が始める新規事業。そういう大きなプロジェクトを任されるのは、それぐらいの年齢の男にとっては、とても嬉しいことです。

それこそ『やりがいのある仕事』です。

当時はまだ親も元気でした。仕事だけに集中できます。ワタシはパチンコも、趣味だった個人HPやチャットもやめました。

というより、他施設での研修や話し合いでの残業続きで、やめざるを得なかっただけですけど。

確かこのころは、今でも付き合いのある友人とも会っていません。

本当に全力で、デイケアの設立準備に勤しみました。

・・・ええ。Y島さんと一緒に。


Y島さんとは空いてる時間にいろいろ話ました。もちろんデイケアの話です。

デイケアの将来について・・・陳腐と思われるかもしれませんが、夢を語り合いました。

そしてデイケアが始まって以降。

苦難の道のりでした。いろいろありました。けれども、このまま一緒にやっていけるだろうと信じていました。疑いもしませんでした。

彼女にとっては、ワタシはただの一緒に働くスタッフに過ぎなかったかもしれません。しかしワタシからすると、志を共にする同志だったのです。

といってもY島さんは看護婦であり、現場の責任者的立場でもあるのです。ワタシなんかより、ずっと大変だったことでしょう。


ただ・・・

「あのころは大変だったね。」

なんてお互い笑える日が来たらいいな、と。そう思っていました。


しかしその日は来ませんでした。

ワタシは最も信頼している『仕事上のパートナー』を失いました。

けれどもワタシはデイの創立メンバーとして。

最初から関わっている職員として。

なんとしてでもデイケアを守らなければなりません。


・・・デイに対する思い入れが強かったんですね。今にして思えば、その中にY島さんに対する思い入れも含まれていたと思います。

そこに新しい看護婦がやってきます。デイケア二代目の看護婦です。

想像に難しくないでしょう。

その二代目看護婦さん。いかに仕事、やり辛かったか・・・ということを。

動画、作りました~。

おじいちゃんが、フライドチキンを食べる動画です。

 


この日は朝から忙しくて。

それで 撮るの見送ろうかな? とも思ったのですが、28日限定パックということで。「やっぱ今日しかないかな・・・。」みたいな感じで。

なぜにそこまでして動画を撮る? と問われたら・・・う~ん、なぜなんでしょう?

とにかく、そういうワケで。カメラのアングルも悪かったのでしょうが、表情とかも疲弊気味。随分と老け込んで見えます。


・・・いや、実際に老けているんでしょうけどね。歳も歳だし。

あと、食べているときの口を見られたくないので、なんとか隠そうとしていますが・・・その作業を雑にやってしまうという。で、老け顔がチラホラとか。

いろんな意味でグダグダな動画です。でも見てほしいな(●´ω`●)

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