しねしね談

無職のおっさんがなけなしの金を叩いてDVDを借り、夏休みでもないのに感想文を書いてしまいます。ジャンルは主に洋画と海外ドラマ、どちらも古いのが好きです。

2022/03

というワケで動画UPしました。

 


煙が目に沁みるというより、辛みが目に沁みるというか。

食べる前から大ピンチの状況。しかし男(ワタシ)には、戦わなければならない理由があった。

・・・ハンカチをご用意ください。涙なくしては見れません。


全米が吐いた。 オエーッ


ま、暇なときにでも見てください。

ワタシがM病院に就職したのは1999年。ノストラダムスの大予言の年です。

覚えていらっしゃいますよね? 翌年の2000年問題。1999⇒2000で、コンピューターや電気機器が誤動作を起こすかもしれない、というもの。

正月休み明け、仕事始めが大体4日からですが。その4日にリハビリ機器が故障しているのに気付いたところで、仕事になりません。

なのでワタシが、元日に出て来て検査をしました。

大したことではないです。パソコンと治療機器、ちゃんと動くか確かめて。検査済みのシールを貼るだけです。

それは新人だからやらされたというワケではないですし、かといって自主的にやったワケでもありません。

他のリハスタッフより家と病院が近くて、特に用事もなかったので引き受けた・・・ただそれだけのことです。

だけど仕事始めの日。当時リハ主任のE島先生は、「検査して異常なし」と院長先生に報告しに行った際

「〇〇チさんが、正月に出て来て検査してくれた。」

という、お言葉添えをしてくださいました。

E島先生は厳しい人です。よく叱られました。だけどワタシ、全然悪く思ってないです。人を活かそうとする人でした。


時は流れ・・・今度は西暦何年になるんでしょう? デイケア二代目の看護婦さんが退職、デイの正規スタッフがワタシひとりになった時代です。

朝の送迎。白号車の介助者はワタシ、黒い車は訪問看護のスタッフに助けていただいて。普通に車2台で行っていました。

しかし初代訪問看護のスタッフは、全員パート勤務なのです。


・・・本人たちも知っていたと思います。

初代訪問看護部は、夜勤の出来ないパートの看護婦をリストラするため設置された・・・いわゆる窓際部署、追い出し部屋だったということ。

彼女たちの終業時間は、大体夕方16時か17時。パート契約ということで、確かひとりひとり違っていたと思います。

そして全員、小さい子供がいます。預けている保育園に、その子供を迎えに行かなければならないのです。当然、残業は出来ません。

なので夕方の送迎は頼めないのです。


そのうえ・・・そのころになってやっと、やっとですよ。やっと病棟が協力してくれるようにはなったものの。

「送迎中に何か事故が起きた場合、介助者がデイケア登録のスタッフではなく、病棟の看護婦やヘルパーだったら・・・問題になるかも」

という「なら朝送迎の、訪問看護の人たちはどうなの?」とツッコミ入れたくなるような、本当に謎の問題提起がなされ。

結局、夕方の送迎介助はワタシひとり。残った利用者は病棟看護婦に看てもらってて、白号車1台で2往復、3往復していました。


それでも終業時間ぐらいには帰って来られるのですが・・・

掃除は訪問や病棟看護婦さんがしてくれていたものの、翌日の準備とか送迎の順番決めとか。いろいろやることありますよね。

それをひとりでやらなければならない。

そして新規の利用者が決まった場合は、その時間から利用者宅まで、車で場所の確認に行かなければならないのです。

たった数回でしたが、退院する患者の自宅までの送迎とか。本来なら患者の家族がやるべきことまで、させられたこともありました。

ブタゴリラ婦長と懇意の、ねずみ男事務長が引き受けてくるんです。入院患者の、ヨソの病院での診察の送り迎えなんてのもありましたね。

そんなんだから。週40時間で平日半ドンの日も残業扱いで仕事、土曜日の午後も寿システムの入力で。残業しない日なんてなかったです。

日曜日なんかも、しょっちゅう出て来てました。


長くなりましたけど、もう少し、もう少しだけ「ワタシ、やってました!!」
自慢させて。


ゴールデンウィークの日も
出て来てましたよ!!



レセプトの時期だから当然ですよね。大雨の日でした。

当時の介護保険レセプト担当の事務員、H野さんで。前回も書きましたが、そのころM病院、救急外来もやってまして。彼女も受付の仕事で来てたんです。

そしたら

「よかった!! ちょうど〇〇チさんに聞きたいことがあったんです!!」

みたいな感じで。

「え? まーとりあえず今は彼女いないけど。今はっていうか、ずっといない・・・。 とにかくオレ、今はフリーだけど?」

「いやそんなんじゃなくて、デイの利用者のことで、ちょっと・・・。」

・・・笑ってくれればいいのに。本当に困った顔されましたよ(´;ω;`)


とにかく、そーいうことです。ワタシはワタシなりに、がんばってきたんです。

そして院長先生も、そのことは知ってくれてます。休みの日に仕事してるとき、何度もお会いすることありましたから。


寿システムの復旧に勤しんでいた日曜日。ワタシは院長先生と、しばらく話をしました。

そしてそのとき、最後に言われた言葉が

「キミを訪問事業所の、所長にしようと思っている。」

でした。


ワタシが所長に選ばれた理由。

それはやっぱり『信頼と実績』の〇〇チ商会じゃないですかね?

ワタシは出世したいとか、役職になりたいとか、もっと高い給料が欲しいとか。

そういうの、ない人間ですよ。


だからダメなんでしょうけど。


・・・縁あってM病院の一員となり。そしてそこで、ただ『ひたむき』にやってきただけです。そんな人間を、見る人は見てくれているんです。

余計なことなんて考えんでいい。仕事のことだけ考え、自分のやるべきことを責任持ってやっていれば。わかる人にはわかってもらえるんです。

そういうこと、ブーカやN本に言ってやるべきだったかなぁ・・・。


いや、言ってもわからんヤツに
言っても意味がない!!



というワケでブーカとN本の話、もうちょっと続きますm(_ _)m

ビジンダーさんがM病院に就職する前だったか後だったか。

寿システムが、デイのPCから完全に消えてしまったことがあります。

それが起こったのが木曜日か金曜日で、業者が再インストールしに来るのは土曜日の朝とのこと。

当時のデイケア、土曜日は営業していませんでした。しかしワタシはリハ助手の仕事があるため、病院に出てきます。

昼までのリハビリでの仕事が終わりデイ施設まで行くと、もう業者は帰ってました。それまで入力してきたデータの復旧は、出来なかったようです。

・・・ソフト自体が完全に消えているワケですから、当然といえば当然です。
復旧は手作業で再入力しかありません。

紙のほうのカルテを用意し、ワタシは入力作業を開始しました。どこから手を付けたらいいかはわかっています。


そうこうしてるうち、デイ施設内に事務の職員たちが入ってきました。皆一様に、カルテや書類が入った段ボールを抱えています。

・・・おわかりですよね? 事務職員たちはレセプト作業のため、広いスペースのデイケアに集まってきてたのです。

つまりワタシも急がなければならないのです。今月のレセプト提出に間に合わせるため、大急ぎでデータを入力しなければなりません。


でもそれって、その月の分の体温とか血圧とか。入れればいいだけじゃない?

そう思われるかもしれません。しかし先ほども申し上げたとおり、全部消えてるんです。真っ新(さら)な状態なんです。

利用者の登録から始めないといけないのです。

利用者の名前・生年月日・住所・電話番号・介護保険番号・主な疾患名・主治医・利用開始日・利用予定曜日・・・。

ビジンダーさんもやったことあるでしょうし、わかっているとは思いますが。
大変だったと強調するために全部書き出してみました(笑)。

とにかく利用者の基本情報を入れるところから始めなければならないのです。

しかも利用者には、利用が始まった順に番号が付けられてますから。その番号順に入力しなければならない。

つまり登録番号1番の利用者から、もう利用されていない方も含め・・・今までデイを利用された全員分の基本情報を入力しないといけないのです。


最近はどうなってるのか知りませんが。当時はレセプトの時期、事務職員は深夜まで残業するのは当たり前でした。

しかしその日は土曜日です。昼から作業を始めたということで、みんな夜11時ごろには帰ってしまいました。

ワタシはひとり、深夜1時ぐらいまでやりましたが・・・終わりませんでした。

なので翌日、昼前ぐらいに出て来て入力作業を再開しました。

それがいいことか悪いことかはわかりませんが・・・その日はタイムカードは押していません。いわゆるサービス残業です。


そのころのM病院は救急診療もやっていました。なので日曜日でも外来は開いています。

そしてまだ院長先生の家屋が病院裏にあるころです。休みの日でも院長先生は、よく院内に出入りしていました。

利用者全員の登録と今月分の利用実績。そろそろ終わる見通しがついたころ、
院長先生が入って来ました。

「どう? 終わりそう?」

「はい・・・なんとか・・・。」

院長先生は日曜日にワタシが出てきていること、別に驚きもしません。ワタシとて特別なことをしている気分ではないのです。

それはなぜか。

そんなこと、当時のワタシにとっては当たり前のことだったからです。

お元気ですか?

また動画UPしました。今度は顔、隠してません。歳のせいかシミが目立ちますです。

 


動画内で「吉野家でこれ注文してる人見たことがない」的なこと言ってますが、実は牛丼屋とかあまり行かないので。実際のところは知りません。

それと・・・ここだけの話。

牛丼屋自体行かない ⇒ カルビ丼なんて食べたこともない だけどカルビ丼のほうが美味しいんじゃないかな? って思ってたんです。

で、どーだったかと言いますと・・・

甘ったるくてベタベタしてる。

「おいしい」なんて言ってますけど。まーあまりお勧めはしません。

ってゆーか牛丼とか食べませんよね(笑)。


食べてばっかしなんで、また太ってきました。

訪問介護、新規に利用される方の曜日と時間が決まり、ブーカに伝えにいったときのことです。

ええ。当然、アイツに行ってもらうつもりです。

サービス内容とか必要事項を話していたところ・・・ブーカ、なんか不服そうな顔しています。

ワタシがひと通り話し終えると、ブーカは口を開きました。

「〇〇チさんは、何をするんですか?」

・・・
・・・
・・・?

何言ってんの? コイツ?


そこにまた、いつものデコ本・・・じゃなかったN本の登場です。

またなんかブーカとふたり、ゴチャゴチャと話してます。

そしてN本、ワタシのほうに踵を返してひと言。

「〇〇チさんが行けばいいじゃないですか!!」

ひと言というより、𠮟りつけるようなカタチで言われましたけどね。


ワタシはですね。寛容な人間です。なので話を聞いてあげようと思いました。

ブーカはキレ気味に・・・というかキレてましたね。キレて、怒り心頭の様子で。ワタシにこう言いました。

「私は訪問介護に行きたくないんです!!

事務的な仕事がしたいんです!!」

(゚д゚)

・・・だったら最初っから、デスクワークの業種に就職するべきだったんじゃないですかね? 

介護職でデスクワークだけの仕事。そんなの無いと思いますけどね?

そもそも上司にキレながら言うこと? それ。


大体、N本にしてもブーカにしてもですよ。

なんで訪問介護が嫌なのに、
訪問介護事業所の面接受けたん!?


本物のバカなの!? このふたり?!

・・・あ、いや本物だったですね、ごめんなさい。


あのー、ちょっと前の記事で書いたかも知れない。

訪問介護事業所の運営が始まる、その数日前。訪問の事務所でワタシ、院長先生から言われているんです。

「訪問事業が始まったら、キミはもう・・・リハビリにもデイケアにも行くなよっ!!」

強く言われましたね~。そして、こうも言われました。

「訪問介護にも行くな!! ブーカくんに行かせろ!!」

・・・まーそりゃそうですけど。ではワタシは何を??

「利用者に渡す契約書を作るのは、事務長の仕事だ。キミが指示を出して、事務長に作らせるんだ。ちゃんと言うんだぞ!!

アイツは言われんと何もせんからな!!」

・・・笑いそうになりました。で、で、ワタシは何を??
(ちなみにこのころ、退院間近の患者に訪問介護を勧めること(つまり営業)、なぜか禁止されていました。)

「キミはここにいろ!! 何もすることがなければ、何もせんでいい!! ここにいろ!! そしてここからブーカくんに指示を出せ!!」

「ここに居座り、訪問介護の所長として・・・堂々と振る舞え!!」

・・・ワタシ、聖帝サウザーか拳王様ですか? 拳王様でも馬に乗って、いろんなとこ行ってますよね?

プーチン大統領だった!?


これ、嘘じゃないですよ。ってゆーより、ビジンダーさんより前から勤めていた人たちは、これ聞いてもなんとも思わないでしょうね。

そうです。ワタシが『院長の隠し子』とまで言われた男です。

そしてこれが、M病院物語の最終回・・・ワタシがM病院を去る話、そのエピソードの伏線のひとつとなります。

しかしその最終回を迎えるのは、一体いつになるのでしょう? それまでビジンダーさんが読んでいてくれればいいけど・・・。


ただ院長先生の意図としては、やはり訪問介護事業を成功させたい。当たり前ですが、それが1番だったと思います。

だけどワタシでは役不足なんですね。自分でわかっています。ワタシはリーダータイプではありません。

それどころか人にナメられる、軽く見られるタイプですよ。デブですけど。

今まで書いてきたブーカやN本の件。院長先生は案外、こうなることを予想していたのかもしれません。

院長先生もインターン時代。一緒に働いてる看護婦から随分と、嫌な思いをさせられたそうです(笑)。


とにかくそんなワタシが、そのままだったら・・・ワタシと共に訪問介護も潰れてしまう、そう思われたかもしれません。

ワタシをなんとか一本立ちさせたい。そう思っていただいてたのかもしれない。


だけど訪問介護事業を成功させたいのなら、訪問経験のある・責任者経験のある介護福祉士を募集する、そういう手もあるのでは?

普通だったらそう考えるはずです。それなのになぜワタシが選ばれたのか??

やっぱり院長先生の隠し子だったから?!

違いまぷー。・・・こーいう話はあまりしたくないのですが、ストーリー展開上、この話は必要です。

次回はワタシが訪問介護事業所所長に選ばれるまでのサクセスストーリー、その感動の軌跡をお送りします。

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