デイケア開設後は土曜日が休日となる。

そのように勤務態勢が変わるの、実はワタシだけだったのです。

なぜかといえば・・・看護婦のY島さんはパート勤務で、元々土曜日は休みでしたから。


自分としては、土曜日が1日休みとなろうと「週40時間勤務」に変わりはないのですから、別にそれほど・・・ぐらいの気持ちでした。

とはいえ、せっかくの土日連休です。

そうなった暁には、やりたいこともいろいろありましたし、実際に計画も立てていました。


それがなぜ、開設直前になってダメになったのか?

毎回もったいぶった言い回しをして、間延びして。結果的に話が長くなる傾向があるみたいなので。

今回は結論から先に言います。

それは当時のリハビリ主任であるE島先生が

「〇〇チくんが来てくれなかったら、土曜日のリハビリの仕事が回らなくなってしまう!!」

と院長先生に進言したからです。


そこだけ切り取れば・・・それと『愚行』の件、何の関係もない。なんで今その話出した?

あなたからそんなふうに思われても、仕方がないでしょう。

ワタシが今回、あなたにお話したいのは

なぜワタシがそれを快く受け入れたか? ということなのです。


ワタシがM病院で、最初に就いた仕事はリハビリ助手です。

当時はデイケア開設の話などなく。おそらく院長先生も、考えてすらいなかったと思います。

つまりワタシは「いつか建てるつもりのデイケアで働く人材」としてではなく、純粋にリハ助手として雇われたワケです。


最初の直属の上司はE島先生です。

自分より何歳か上の女性でしたが・・・厳しい人でした。ワタシもよく怒られました。

では仕事がやりにくかったかといえば、全くそういうことはなくて。

ワタシはM病院の前はT病院、その前にもいろんな職場を経験してきましたが。

正直、どの職場よりも1番やりやすかったです。

なぜやりやすかったか? というと、それは上手く表現出来ないのですが・・・

E島先生の考え方であったり、コミュニケーション能力であったり。人間力とでも申しましょうか。

当時のM病院自体が、とてもいい雰囲気でしたから。そういうのもあったかもしれません。


そういえば、まだコロナが流行る以前。天神の地下でE島先生を見掛けたことがありました。

もちろんご挨拶しようと思ったのですが、そのときその・・・今はもう閉店してるんですけど、アクロスに中華料理食べ放題のお店があって。

そこでたらふく食べて、もう口から餃子が溢れ出て来そうな状態で。

それで声を掛けられませんでした。本当に残念です。あの店なくなったの。


また余計なこと書いてしまいました。続きは次回。